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第1758号 ちょっといい話『今週も、日本一心を揺るがす新聞の社説 4・・・読者プレゼント』志賀内泰弘

「日本一心を揺るがす新聞の社説」の待望の第4巻が発売になりました。「みやざき中央新聞」の水谷もりひと編集長の社説をまとめてものです。先週に続いて、この中から、志賀内がお気に入りのお話を一つ紹介させていただきます。締め切り間近。一読ののち、末尾の読者プレゼントお申込みの要領をご覧ください。

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「優しさだけでは幸せに育たない」

学生のとき、シェル・シルヴァスタインという作家の『おおきな木』という絵本にとても感動し、ずっと手放せないでいた。物語はとてもシンプルだった。大きなりんごの木がある。そこに小さな坊やがやってきて、いつも遊んでいた。木登りをしたり、枝にぶらさがったり…。坊やはその木が大好きで、木も坊やが大好きだった。やがて坊やは大きくなり、木と遊ぶことはなくなった。

ある日、突然彼はやってきた。木はとても喜んだ。青年になったかつての坊やは木に言った。「お金が要るんだ」。「それならこのりんごを売りなさい」と木は言った。青年はりんごを全部もぎとって行ってしまった。木はうれしかった。

数年後、久しぶりにやってきたかつての坊やはいい大人になっていた。「結婚したい。子どもが欲しい。だから家が要る」。木は言った。「この枝を切って、それで家を建てなさい」。男は枝をすべて切って持っていった。木はうれしかった。

さらに月日が流れ、かつての坊やは中年になっていた。人生にいいことがなかったようで、「遠くへ行きたいから船がほしい」と言い出した。「幹を切って船を造ればいい」。男は幹を切り倒し、船を造って行ってしまった。「それでも木はうれしかった」と、その後に、「だけどそれはほんとかな?」と書かれていた。重く心に残る一言だった。

そして、かつての坊やは老人になって木に会いに来た。しかし、もう木はあげるものがなかった。老人は言った。「もう欲しいものはない。ただ座って休む場所があればいい」 「それじゃここにお座りなさい」と、木は思いっきり背伸びをして切り株になった自分を差し出した。

あとがきに、訳者の本田錦一郎氏が「無償の愛」について書いていた。与えて、与えて、さらに与えていく。それは「犠牲」ではなく「無償の愛」なのだ、と。

その本に感動してから30年以上経った。ふと、この絵本を思い出した。きっかけは知り合いの夫婦から息子さんの話を聞いたことだ。そのご夫婦はとても仲が良く、特にご夫人はとても優しい女性で、夫が自損事故を起こしても、「疲れていたのね」と労り、夫が無駄遣いしても「仕事のストレス発散になるからいいね」と微笑む。一人息子に対してもそんな感じで、いつも笑顔で、愛情をたっぷり注いできた。

その息子も20代後半になった。息子は仕事から帰ってくると部屋にこもり、ゲームばかりしている。父親とはほとんど口をきかない。部屋から出て来ないときは母親が部屋まで食事を運ぶ。息子が育ち上がっていないのだ。なぜ? あんなに仲のいい夫婦なのに。あんなに愛情溢れる家庭で育ったのに。それがとても不思議だった。『おおきな木』を思い出した。学生のときは愛を受ける立場で読んでいたことに気付いた。今与える立場になって考えさせられる。優しさだけではダメなんじゃないか、と。

1976年に本田氏の和訳で出版されたこの絵本は日本でもベストセラーになった。そして、2010年、作家の村上春樹氏の新しい和訳で再版された。「木はうれしかった。だけどそれはほんとかな?」という部分を、村上氏は「それで木はしあわせに…なんてなれませんよね」と言い切った。 確かに絵を見ても、物語の展開を辿っても、与え続けた木は幸せになっているようには見えない。なぜなら、かつての坊やが幸せになっていないからだ。

無償の愛は確かに尊い。しかし、誰かの成長を願うとき、「与え続ける行為は、もらい続ける人を育ててしまう」と、この絵本は訴えているのではないだろうか。それで原作者のシルヴァスタインは年をとっていく男を最後まで「ボーイ(坊や)」と呼び続けているのではないか。絵本は、その時の気持ちや立場や年齢などに応じて、いろんな受け止め方ができる。だから大人も楽しめる。