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第1831号 ちょっといい話『死んでも名前が残る方法』志賀内泰弘

大好きな作家がいます。コラム・ノンフィクションの名手と呼ばれる上原隆さんです。一番の代表作は、「友がみな我よりえらく見える日は」(幻冬舎アウトロー文庫)。さまざまな悩みを抱える、どこにでもいる人たちにインタビューを試み、時にほのぼの、ときにジンワリと心を震わせる文章を書かれます。

その上原さんの「喜びは悲しみのあとに」(幻冬舎アウトロー文庫)の中に、こんなお話が綴られています。

上原さんが、東京駅八重洲口のセルフサービスのカフェレストランに入ったときのことでした。コーヒーを飲みながら本を読んでいると、72、73歳くらいの男性客が入ってきました。彼がカウンターに近づくと、店員が、
「ご注文ですか?」
と尋ねました。男性客は、なぜかボーとして立っています。
男性店員は、お客が答えないので、隣りの女性店員とおしゃべりを始めました。
男性客が、
「私は目が悪いので・・・」
と言うのが聞こえましたが、それでも店員はおしゃべりを続けていました。再び、男性客が、
「私は目が悪いので・・・」
と言いました。誰に言っているのかわからないよう口調なので、気が付かないようです。

上原さんが、店員に教えてあげようと思って立ち上がった時のことでした。
突然、身長190センチの黒人ウェイターが男性客の前に現れました。ワイシャツに黒のボウタイ、タキシードに黒い前掛けを付けています。そのとたん、男性客の顔がパッと明るくなりました。両手で黒人ウェイターの手を握ると、言いました。
「あんたがいてよかった」
ウェイターは、ニッコリ笑うと、トレーを持って来てカウンターの中の店員に指示。そして、席に座った男性客のところに、生ビールとフライドポテトの乗ったトレーを運んできたのでした。
「ありがと、ありがと、あんたがいて助かるわ」
「こちらこそ、ありがと、ございます」
とたどたどしい日本語で答えました。

上原さんは、この黒人ウェイターに興味を持ち、取材を申し出ました。

聞けば、ニューヨークのプロンクス生まれの30歳。貧しい家庭で育ちました。25歳の時、日本に旅行に来て、日本人が人にやさしいことに惹かれて住むようになったそうです。
上原さんが、
「お客さんに親切なのは、誰かに教えもらったからですか?」
と尋ねると、こう答えました。
「家族の中、お父さんが毎日毎日いったの。人はね、いつ死ぬかわかんないでしょう。だから、あまりいいことしないで死んじゃったら、あなたの名前すぐ忘れちゃうでしょう。だから、いいことして、死んでも名前、まだあるようにしなさいって」

実にいい言葉です。ここで、パッと、あることが頭に浮かびました。私の母親が亡くなった時、友人S君から届いた一通のメールです。

「出張で告別式に参列することができない。お母さんのこと、心よりお悔み申し上げます。
でも、最近思うことがあります。人は死んでも、いなくならないのではないか。例えば、作家や俳優が死んだという知らせを耳にしても、みんなの心の中に生き続けている。だから、キミのお母さんは、ずっとキミの心の中に生き続けているよ」

人はいつ死ぬかわかりません。平均寿命が延びたとしても、それは統計上のことです。病気や事故で、歳とは関係なく親よりも早く亡くなってしまう人もいます。地震や豪雨の被害に遭う人もいるでしょう。

黒人ウェイターのお父さんのスゴイところは、死んでしまう前に、好きなこと、やりたいこと、楽しいことをしなさいと言うのではなく、
「いいことして、死んでも名前、まだあるようにしなさい」
と教えたことです。
きっと、彼は、目の不自由な男性客だけでなく、多くの人たちから慕われているに違いありません。縁起でもないことですが、もし、今、死んでしまったとしても、大勢の人たちの心の中に生き続けることでしょう。
有名な大リーガー、総理大臣、アイドルグループのセンター、芥川賞作家、宇宙飛行士・・・にならなくても人の心には残りうる。ここに、一つの誇るべき生き方があります。