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第1686号 ちょっといい話『「おせっかい」と「親切」の狭間で』志賀内泰弘

「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動では、「親切」の輪を次の人へとグルグルまわして、思いやりでいっぱいの世の中を作ろうと呼び掛けてきました。

でも、その「親切」は、時として「おせっかい」と受け取られてしまうことがあります。それでも、志賀内は提案してきました。もし、「親切」のつもりでやった行為が「おせっかい」として受け止められたとしても、けっして後悔するのではなく、その経験を次の機会へと生かして、また「親切」を続けましょう。

「親切」と「おせっかい」の違いは、時と場合によって異なります。それの答えは、教科書には書いてありません。何度も、何度も「親切(だと自分が信じる行為)」を続けることでしか、微妙な違いは会得できないからです。

でも、でも・・・、例えば、電車の中で、よかれと思って年配者に席を譲った時、
「年寄り扱いするな!」
と嫌な顔をされたとしましょう。それは正直凹みます。
反対に、イジメに遭っているクラスメイトがいたとします。
「もし、あいつをかばったりしたら、自分がイジメの標的になるかもしれない」
と恐れて、黙って見過ごしたために、その子は不登校になってしまった。
「ああ、なぜ、味方になってやれなかったのか」
と思い悩むことになります。

押しても引いても悩みは尽きません。

さて、京都・大徳寺の塔頭「黄梅院」を訪ねました。織田信長が、父・信秀の追善菩提のために建立した寺院です。その本堂の前庭に、「破頭庭(はとうてい)」という名前の庭があります。

「破頭」とは何か?
ご住職の筆になる説明書きを写してきました。(写真撮影が禁止なので)

「破(は)とは打ちやぶる、壊わされてしまう、見直す、考え直す、改める等の意があります。私たちはややもすると自己中心的、利害的に偏見的なものの見方、考え方に落ち入りやすくなります。時には偏見をもって人の道をはずしたり横道にそれたり人さまに迷惑をかけたりすることもあります。これらを戒め、人道・中道(ものごとの道理にかなうこと)へいざなふことを破頭と申します。気付く、悟る、考えを改めるの意です」

「人道・中道(ものごとの道理にかなうこと)へいざなふ」
とあります。
ここに、「親切」と「おせっかい」の狭間で揺れて悩む我々の心を解決するヒントがあります。常に考えること。
一つの行動を起こすたびに、「これは正しかったろうか」「相手に迷惑でなかったろうか」と振り返る。
一歩進んでは、自らを省みて、また一歩進む。その飽くなき繰り返しのうちに、パッと光の見える瞬間がやってくる。それが、「中道」なのではないか。

この破頭庭には、二つの石があります。大きな石のそばに、少し小さめの石が、大きな石に頭(こうべ)を垂れるように立っています。なんでも、大きな石が御釈迦様、そして小さい方はお弟子さんとのこと。

お寺の庭と言うのは、人の心を表しているそうです。人の心の中に、御釈迦様と弟子が存在しています。御釈迦様は、いつも問います。
「それでいいのか」
と。弟子も問います。
「これでいいのでしょうか」

そうなのです。いつも、いつも、自分に問い掛け続ける。そこに答えがある。行動と問いかけの繰り返しの先に、きっと「親切」と「おせっかい」境目が見える日があるのでしょう。たぶん、生きているうちに辿りつけはしないのでしょうが、それでも、それでも・・・。