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第1670号 ちょっといい話『カライモのように何倍もになったらいいな』志賀内泰弘

司馬遼太郎さん名著「街道をゆく」(八巻)のこんな話に、心が留まりました。元禄年間に、カライモ(薩摩藷)が九州の一角に入ったそうです。それより、少し前の貞亨元年(1684年)における薩摩藩の人口は35万人でした。そののち、20年後の宝永3年(1706年)には、10万人増え、46万人に。さらに、寛政12年(1800年)には、62万人。文政9年に(1826)には、66万人になったといいます。

それ以前の薩摩はシラス台地という米作りに適さない土地柄だったことから、百姓だけでなく下級武士までが食べるに困り、間引きをして人口抑制をしていたそうです。それが、カライモが外国から伝来したおかげで、命を繋ぎ止めることができるようになりました。そのカライモの起源はというと、コロンブスがアメリカ大陸を発見したことに遡るといいます。それが回り回って、江戸中期の日本人の生命を繋いでくれることになったことを、もっと日本人は認識すべきと、司馬さんは言います。

さて、話は飛びます。拙著「タテ型人脈のすすめ」(ソフトバンククリエィティブ)などをお読みいただいたり、私の講演をお聴き下さったことのある方は、よく御存じだと思います。「客家の法則」です。

中国南部に客家(はっか)という少数民族がいます。社会主義に市場経済を取り入れて、今の経済大国としての中国の祖を築いた鄧小平や、革命家の孫文、また台湾の李登輝、シンガポールのリー・クワンユーなど有能な多くの政治家を輩出したことで知られています。それだけではありません。世界中に広がる大富豪の華僑も、客家の出身が多く、「東洋のユダヤとも言われるほど、優秀な「少数」民族なのです。彼らは、中国全土を支配していた漢民族の一部の末裔と言われており、古代には北の方に住んでいました。

しかし、北方民族が攻めて来た際に、難を逃れて福建省など南の地にやってきました。流浪の地で、特殊な建築様式の家を作って住んでいます。イタリアのコロッセオのように、円型の外周部分が三、四階建てになっていて、各階に何軒もの家族が住んでいます。ちょうど中庭の見下ろせる高層筒型アパートといったイメージです。この客家の家は、「福建土楼」と呼ばれ、現在は世界遺産にも認定されています。

NHKの番組で「福建土楼」の特集をしていました。レポーターが、この村の長老に尋ねます。
「なぜ、この小さな村から優れた人物が生まれたのですか?」
と。すると、長老は、
「隣の人に親切にしてもらっても、その人にお返しをしてはならない、という教えが伝わっているのだ」
と答えました。
(おや?)
と、首を傾げました。親切をされたら、その人に親切を返すのが当たり前です。親切のお返しを「してはならない」なんて、なんて不道徳なことかと。続けて、長老は、こう言いました。
「右隣の家に人に親切にされたら、反対の左隣の家に人に親切をしなければならないのだ」
合点がいきました。なるほど。まさしく眼から鱗です。円型ドームなので、左へ、左へと、親切を送り続ければ、いつの日かグルッと回りまわって自分に還ってくるというわけです。長老は、そういう「生き方」を実践して、多くの偉人を輩出してきたのだと、遠回しに説明してくれたわけです。

ここで、話を戻しましょう。カライモの伝来です。この世の中には、期待はしていないけれど、客家の法則のように、グルグルっと回り回って、与えたものが自分に還ってきてしまうことがあります。でも、「親切」というのは「目の見えない」心の行為ですから、「還って」きたり、次へと「送っていく」のがなかなかイメージできません。
でも、イカラモに置き換えたらどうでしょう。はるか昔、南米からコロンブスがヨーロッパへとカライモを持ち帰った。そのタネイモを植えて、人々は飢餓から救われた。そのタネイモは、次から次へと人から人の手に渡り、グルリと地球を回ってアジアにやってきた。食べ物ではないけれど、「親切」も、グルグルっと回って、人口が増えたように、人の心を何倍も豊かにすることができたのなら、なんて素晴らしいことでしょう。

人に「親切」を施す時、カライモの伝来を思い浮かべて、その「親切」が次へと「恩送り」されていくに従って、何倍にも膨れ上がることをようにと「祈り」を込めたいと思います。