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第1619号 ちょっといい話『大徳寺で学んだこと』志賀内泰弘

お寺や神社にお参りするのが好きです。そこで、気になるのが、ご利益(りやく)です。家内安全、病気平癒、学業成就・・・。でも、ある有名な神社の権禰宜さんに、こんなことを教えていただいたことがあります。

「神社やお寺は、頼みごとをするところではありません。『ありがとう』と、今あることに感謝するところです」

それ以来、極力、神様、仏様にお願いごとはしないようにと努めてきました。手を合わせて、
「おかげさま、おかげさま」と祈ります。
それでも人と言うのは実に弱いものです。辛いことがあると、ついついすがってしまいます。
「どうか、神様、一つだけ願いをきいて下さい」と。

さて、京都大徳寺の大仙院を訪ねたときのことです。廊下の壁の、達筆な文字の張り紙に目が留まりました。全文を紹介させていただきます。

*   *   *   *

「ご祈祷をしても好転しない」と言う人がいますが祈祷をしたから好転するのではなく、その時の心の在り方とその後の生き方が大切なのであります。

私達は日常心の中に煩悩を抱き、世の中の真実の相(すがた)を見失いがちです。好きなものに対しては貪りとなり、嫌いなものに対しては瞋(いか)りとなる。
貪って得られず、瞋って斥(しりぞ)けられない時、心は迷いに陥っていくのです。そして、心が迷っている時には、世の中の真実のすがたが見えないので、不安が生じることになり、絶望への道を辿る(たど)るのです。

祈りの真の目的は、煩悩を捨て、心の中をからっぽにして、なすべきことに一所懸命努力する生き方を見出すことであります。努力を尽くせば、どんな結果でも悔いなく受け容れられる筈(はず)。

そしてその結果を生活にどう生かしていくかが最も大切なことなのであります。祈りとは無心になって真実のすがたを見つめ、縁を生かしていけるような清々しい心を見出すことで、それが祈りの御利益であります。
*   *   *   *

わかっているつもりでした。そんなことくらい。でも、改めてこうして読み進めると、「祈る」ということの真意が腹に落ちてきました。

神様でも、仏様でも、手を合わせる瞬間に無心になれることがあります。それは、たぶん、自分を見つめ直している時なのでしょう。「祈る」とは、自分の心を磨き、晴れやかにすることなのですね。

それさえわかっていれば、別に「願いごとをしてはいけない」というわけではない。
「どうか出世しますように」とか
「どうか、ステキ人と出逢えますように」
と祈ったとしても、それと同時に、自分自身を見つめ直すことができたなら、オーケーなのではないかと思いました。(もちろん、志賀内流解釈です)

すると、「出世」を神様や仏様にお願いして祈る時、心がからっぽになり、自分の現状が冷静に見えてくることで、「よし!頑張るぞ」という新たな決意が生まれる。自然に行動が変わり、出世できる。

「ステキな人」との出逢いも、同じ。ご縁を祈ると同時に、自分の至らない部分が見えてくる。すると、「もっと人に思いやりを持とう」と気持ちが新たになる。そういう優しい人は、モテるようになる。

お寺や神社を訪ねると、それだけで心が安らかになります。そして、帰途、身体に力がみなぎるのを感じることがあります。きっとそれは、無意識に己を見つめ直しているからに違いありません。