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第1433号 ちょっといい話『新参者は、そうじをさせてもらえない」』志賀内泰弘

数年前、拙著「なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?」ダイヤモンド社を、
書いたこともあり、ことあるごとに「そうじ」についての話に目が留まります。
 
京都の名刹・大徳寺大仙院閑栖の尾関宗園さんが、
修業時代の「そうじ」についてこんなことを言っておられるのにびっくりしました。
 

禅宗のお寺では、すべてのことが修業です。
炊事や洗濯、雑巾掛けなど、座禅だけが禅ではありません。
例えば、ご飯を作るのも、ご飯を食べるのも修行なのです。
 
さて、尾関さんが若かりし頃の話です。
先輩にこんなことを言われて、ムッとしたそうです。
「あんたら新参に、こんなむつかしい仕事をさせるわけにはいかん」
と言われ、便所掃除をさせてもらえなかったというのです。
「何がむずかしいもんかいな、もったいぶって」
と心の中で思いました。
 
ところが、時がたち、実際に自分で便所掃除をするようになって、
先輩の言葉の意味がわかるようになりました。
昔の便所は、水洗ではなく汲み取り式です。
水で流せないので、汚れがこびりつきます。
おまけに、手を汚したくないと思うので、
タワシでチョコチョコッとやるだけ。
まるでキレイになりません。
 
ここで悟ります。
手に小便や大便が付こうが、一切気にせず、
ただ便器をキレイに磨くことだけに専念する。
すると、当然ながらキレイになる。
手が汚れたら洗えばいい。
自分の手が汚れることを気にしながら、便所掃除をするようでは、
とてもキレイにすることはできないのです。
 
新参者は、そのことをわかっていない。
だから、簡単には便所掃除をさせてもらえないというのです。
 
掃除は、私たちの社会(俗世界)では、
罰ゲームみたいに扱われることがありますよね。
学校で、遅刻したから掃除をさせられたとか。
でも、違う。
掃除は、そんな嫌々やるものではない。
むずかしいものなのだと。
 
尾関さんは言います。
「自分自身で気が付かなければ、本当にキレイに掃除することはむずかしい」
と。
 
「自分で気付く」
これは、禅の修行にとどまらず、私たちの日常でも言えることでしょう。
そして、掃除だけでなく、仕事や人との付き合い、
趣味や遊びも含めてすべてのことに共通するに違いありません。
 
(参考図書) 大徳寺大仙院閑栖・尾関宗園著
「心配するな、なんとかなる」PHP研究所
 
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