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第1633号 ちょっといい話『ついつい忘れてしまう、感謝すべき人』志賀内泰弘

みやざき中央新聞・水谷もりひと編集長の
「日本一心を揺るがす社説」をご存じでしょう。
シリーズで11万部というベストセラーです。

その水谷さんの新刊「仕事に“磨き”をかける教科書!」を呼んでいて、
こんなお話にページをめくる手が留まりました。
著者・出版社の許可をいただき、全文を紹介させていただきます。


*   *   *   *

「手を合わせたい人に手を合わせていますか」

京都で世界一の男に会った。
どんなジャンルであれ、世界一になるということは
並大抵の努力ではいかんともしがたいことは理解できるが、
それがどれほどのものであるかは想像を絶する。

田中トシオさんは1992年に開催された「世界理美容選手権大会」に挑み、
「アーティスティック」「クラシカル」「ファッション」の
3部門すべてで個人優勝、さらに団体戦でも
日本に金メダルをもたらすという快挙を成し遂げた。

彼の先にも後にも、複数の部門で優勝した人はいない。
伝説の理容師である。田中さんは理容師になりたかったわけではなかった。
家庭が貧しかったこともあり、中学卒業と同時に親の勧めで理容学校に入学した。
器用さがものを言う世界で、彼は不器用だった。

やっとのことで卒業したものの、髭剃りのとき、
カミソリでよくお客の顔を切っていた。
好きでもなければ、やりたくもないことを親から押し付けられたという思いがあった。
「この道で行くしかない」と開き直ったのは19歳のときだった。
「嫌いだからといって逃げ道を探すのはもうやめよう。
この仕事を好きになって一流を目指そう」
と思えたとき、彼は自分の技能を磨くため、
コンテストに挑戦することを決めた。

何度も挑戦するうちに、地方の大会ではそこそこいい成績を収めるようになった。
しかし、「日本一」の壁は高かった。
夜9時に店を閉めると、1人目のモデルを相手に稽古した。
2人目は10時半から、3人目は12時から。寝るのはいつも午前2時か3時だった。
そんな生活を続けるうちに体を壊し、医者からも家族からもストップがかかった。

それでモデルを1人に絞り、時間も夜9時から12時までにした。
毎日稽古するという、自分に課したノルマは変えなかった。
道具にもこだわった。日本一の櫛職人がいる「ヤマコ」という
手作り櫛のメーカーに22目の櫛を注文した。一般に市販されている櫛が10目ほどで、
プロの理容師が使っている一番薄い櫛でも18目が限界といわれている。
22目の超薄歯の櫛など常識外れなものだった。

「そんな櫛は作れねぇ」と職人から断られた。
「日本一になるためにはその櫛が必要なんです」と食い下がったが、
職人は頑として首を縦に振らなかった。
三度目の電話は1時間以上に及んだ。

「できねぇ」と言い張る職人に業を煮やした田中さんは
「あんたが日本一の櫛職人だと聞いて頼んでいるんだ。
死ぬ気で日本一を追いかけている客の櫛一本も作れないのか」
と捨て台詞を吐いた。
数日後、
「あんたの思い通りに作れるか分からないがやってみる」
と電話があった。田中さんは答えた。
「何本でも買い取ります」
彼の思い通りの櫛ができたのは4本目だった。
半年後、その櫛を使って37歳の田中さんは悲願の日本一を掴んだ。

しばらく経って、理容師の講習会場でヤマコさんが
店を出していることを知ってお礼のあいさつに行った。
顔を見るなり「田中さんですね」と声を掛けてきた女性がいた。
あの職人の娘さんだった。そして、「父は先般亡くなりました」と言った。
あの長い電話の後、こんなことを言っていたそうだ。

「俺は日本一の櫛職人だと自負していたが、
歳をとるにつれ楽を選び、
普通の櫛ばかり作っていた。
あの男に『それでも日本一の櫛職人か』と言われて目が覚めた。
意地に賭けても一世一代の櫛を作ってみせる」と。

そして、田中さんがその櫛を使って日本一になったことを知ると、
「もう思い残すことはない。職人の誇りをもって死んでいける」
と冗談まじりに家族に話していたそうだ。

日本一の栄冠の舞台裏で、もう一つのドラマがあったことを知り、
田中さんはその場で男泣きに泣いた。

誰にでも「手を合わせたい人」がいるものだ。
だが、その人が自分のために苦労していたことは案外知らないものである。

*   *   *   *

さて、
人は、苦しい時、藁(わら)をも掴む、と言います。
「誰か助けてくれ~」
と、のたうちまわって、あちこちにSOSを発する。

アドバイスしてくれる人。
お金の援助をしてくれる人。
情報をくれる人。
話をじっと聞いてくれる人。
中には、自分のことのように親身になって
寄り添ってくれる人もいるでしょう。

でも、人間って、調子のいいものです。
あれほど苦しかったのに、恩義を忘れてしまうんですよね。
いや、覚えてはいるけれど、忙しいとか、
また今度とか、機会を見てとか言い、
「ありがとうございました」
とお礼の気持ちを伝えるのを先延ばしにしてしまう。

実は、志賀内にも、「ありがとう」を言い損なってしまった人がいます。
それも、一人ではない。何人も。
今は、黄泉の国で暮らしておられます。
水谷さんは、さらに言います。

「『井戸を掘った人を忘れるな』という言葉がある。
手を合わせたい人を忘れない人が 後世に名を残す人になる」

チクリ、どころか、ズキンと心に響きました。
少し、天の方を向き、両手を合わせて拝みます。
「ありがとうございました」