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第1034号 ちょっといい話『「念ずれば花ひらく」の生まれた理由…イベントのご案内』志賀内泰弘

前回に引き続き、仲良しの中井俊已さんの新刊、 「ぽっと心に明かりがともる28の物語」ごま書房新社 の話です。

よく「名は体を表す」と言います。 文章も同じです。 中井さんって、本当に穏やかでやさしい。怒ったのを見たことがありません。 だって、しょっちゅう私はからかうんです。あまりにも真面目で、あまりにも実直。 だから、ついつい、からかいたくなってしまう。 でも、春風駘蕩、泰然自若というか、ニコニコ笑っている。

今度の新刊も、まさしく、人柄がホンワカと漂うような名文です。

その中井俊已さんと、コラボの講演会を開催します。 詳しくは、文末をご覧ください。

さて、本の中から、もう一つ紹介させていただきます。 副題に「忙しいからこそ読みたい、親と子の心の糧」とあります。 ぜひ、家族や友達、同僚と分かち合いたい話です。

   *   *   *   *

 「念ずれば花ひらく」

小学生から財界人にまで愛され、癒しの詩人と言われた坂村真民さんのお話です。

坂村真民さんは、1909年熊本県に生まれました。 8歳のときに小学校の校長であった父親を亡くし、 失意と貧乏のどん底生活に陥ります。

広い庭をもった屋敷から一家6人は、 村はずれの小さな藁小屋の家に移り住むようになります。

家は雨が降れば、6人が寝る場所もないほど雨漏りがひどい有様。 履く物は自分で作り、生きていくために母親の内職を手伝うという貧乏生活でした。 真民さんは5人兄弟の長男として、母親を助け、弟妹たちの世話もし、 幾多の困難を乗り越えていきます。

そんな困窮する生活の中でも、真民さんが望むように、 母親は中学、さらにはその上の学校に進ませてくれました。

真民さんは、国語教師をしながら詩作を続け、多くの人に愛される詩をたくさん残しました。 次の詩は、真民さんが40歳を超え、身体を病み、失明しかかっているときに生まれたものです。 苦労に苦労を重ね愛情深く育ててくれた母親の生きる姿が生きる原点となっています。

念ずれば花ひらく 念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった

この詩は、多くの人を慰め、励まし、勇気づけてきました。 ある母親は、真民さんの詩が好きでよく子どもに読んで聞かせていました。

ところが、ある日、生活が苦しく将来への希望をなくし、 子どもをつれて死のうとしました。 まさにその時、子どもが覚えていたのでしょう、 「念ずれば花ひらく」という一節をつぶやいたのだそうです。 母親は、ハッとして死ぬことを思いとどまったというのです。

真民さんは2006年に97歳で永眠されました。 「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、 その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられているそうです。

   *   *   *   *

自分の願いを言葉にすると、夢や目標が明確になります。 すると生きる希望や力がわいてきます。 気持ちが明るくなり、もう少しがんばろうという意欲がでます。 行動すると、ひとつひとつ願いがかなっていきます。