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第1663号 ちょっといい話『司馬遼太郎さんとチューイングガム』志賀内泰弘

ショッピングモールの中のフードコートへ立ち寄った時のことです。
「しまった!今日は祭日だった」
かなり広いスペースにもかかわらず、人であふれています。
「あっ!あそこに席が空いている」
と駆け寄ってみたら、四人掛けのテーブルの真ん中にペットボトルがポツンと一つ。
「ああ、ダメだ。誰かが席を取るために置いておいたんだ」
とは思いはしたものの・・・?

というのは、中身が空っぽ。さらに栓(キャップ)が無いのです。
「ということは・・・コレって忘れ物かな?ゴミ箱に入れ忘れたのかな?」
こんなに混雑していても、誰も座っていないということは、
「誰かが席を取っているんだ」
と多くの人が認識している証だと思いました。
ただの忘れ物かもしれません。
だとしても、万一、持ち主が現れた時、
トラブルになるのを恐れて座らないのでしょう。

諦めて、他の席が空くのを待つ間、ふと思い出した話がありました。
司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」(五巻)ので語っているモンゴル国
(当時は社会主義国でモンゴル人民共和国という国名)を
旅した時のエピソードです。(以下、抜粋です)

「そんな話を崎山代理大使夫人に話すと、
彼女はひどく共感して、べつの話をしてくれた。
日本の折詰などについている小さな鯛の形の醤油入れがあるが、
彼女はホテルの食堂で、それを使った。
当然、それを使い捨てにして食卓に置きっぱなしにしておいたところ、
あとで食堂の従業員たちが大さわぎしたというのです。
落とし主をさがして、三日目に日本人のものだとわかった。
夜、大使館のドアをたたいてそれを届けにきたというのである」

いや~なんとも微笑ましいお話です。
モンゴルの人たちにとっては、あの醤油入れが物珍しくて
大切なものに見えたのかもしれません(日本特有のもの?)。
いずれにしても、その親切心には頭が下がります。

ところで、司馬さんの文章の冒頭の「そんな話」というのが気にかかりますよね。
せっかくなので、その部分も紹介しましょう。
「東京外大の小沢重男氏の著書(「現代のモンゴル」)によると、
氏は、1959年、国際モンゴル学者大会に行った。
ある日、カメラを街に置き忘れた。
そのまま宿舎に帰って翌日気がついたのだが、さがしに行ってみると、
きのうの街の銅像の土台石に置き忘れたときのまま、
つまりそのままの位置で置かれていた」
というお話です。
私も、似たようなエピソードを何度も聞いたことがあります。
そうです。日本にやってきた外国人旅行者が、タンシーの中で財布を忘れてしまった。
自分の国だったら、絶対に戻ってこない。ところが、交番に行ったら、
すぐに僅かな手掛りからそのタクシーを突き止めてくれ、さらに財布が手元に戻ってきた。
なんて日本と言う国は、安全で信頼のできる国なんだろう。
・・・というお話です。

モンゴル人と日本人は、共に幼い頃、おしりに蒙古斑があるといいます。
それだけでなく、「親切」という点でも、似通っているのかもしれません。

司馬さんは、もう一つ、ご自身の体験を書いています。
街で出逢った子供に、モンゴル語の発音を習った。
お礼にと思って、たまたまポケットに持っていたチューイングガムを一包み渡した。
するとその子は、包みをはがして、周りにいた子たちの人数をかぞえて、公平に分配した。
司馬さんは、その光景を見て、
「この幼児たちのごく自然な公平分配の習慣は、
社会主義的人民の子だからというものではなく、
太古以来、天幕の中でおこなわれつづけてきたものであるように思える」
と述べています。

さて、この「街道をゆく」(五巻)が刊行されたのは、昭和49年10月30日です。
今のモンゴルは、どうなのでしょうか。
今の日本はどうなのでしょう。
毎年、外国人旅行客が増えています。
外国人がカメラや財布、はたまた「醤油入れ(?)」を忘れても、
ちゃんとその手に戻っているといいのですが・・・。