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第941号 ちょっといい話『なぜ、宮崎の小さな新聞が世界中で読まれているのか』志賀内泰弘

大親友の松田くるみさんが初めての本を出されました。 「なぜ、宮崎の小さな新聞が世界中で読まれているのか」ごま書房新社 社長を務める、みやざき中央新聞の、創世記から現在までのドラマです。

実は、その本文に、恥ずかしながら、志賀内とくるみさんとのエピソードが出てきます。 本当に「赤面」するような話ですが、抜粋して紹介させていただきます。

   *   *   *   *

長野の柴原薫さんが紹介してくれたお知り合いの中に、 名古屋の志賀内泰弘さんと東京の船井勝仁さんがいる。

(株)船井本社の社長、船井勝仁さんは、(株)船井総研の創業者・船井幸雄さんを父に持つ人で、 私から見ると雲の上の人だった。経済至上主義に流されることなく、ずっと「本物」の商品を探し続けて、 そういう商品を提供している人たちを応援している。船井さんがみやざき中央新聞に興味を 持ってくださった時、私は信じられないほど嬉しかった。

志賀内さんは、コラムニストや経営コンサルタントとしてだけでなく、 よろず相談者としても幅広く活躍している人だ。 みやざき中央新聞を送ったら、志賀内さんからもご自身の著書を数冊、本社に送ってきて下さった。 ほどなく電話をかけて来て、志賀内さんはこう切り出した。

「みやざき中央新聞を読みました。今発行部数はどれくらいですか?」

出版業界では、慣例的に発行部数を多めに言うことが多い。 しかし、この頃の私は見栄を張るのをやめていた。恥ずかしい気持ちもないわけではなかったが、 正直に当時の部数を伝えたところ、電話先で驚いている様子がわかった。

「それで生活できるのですか?」

と、ストレートな質問が返ってきた。

「一応一家五人なんとか食べております。宮崎は物価が安いのでどうにかなっています」 「大変ですね。応援しますよ。ちょっと考えてみますね」

ありがたい申し出だった。後日、志賀内さんの発行する通信「徒然草子」の読者全員に みやざき中央新聞を同封して、見本紙をひと月送らせてもらうことになった。

石丸さんの時もそうだったが、志賀内さんの読者層は経営者が多く、たくさんの方が 申し込んでくれた。特に、(株)イエローハット相談役の鍵山秀三郎さんが 申し込んできた時はスタッフ全員驚いた。

その後も、志賀内さんはさまざまなアイデアを出して、私たちを応援してくれた。 連絡を取り合ううちに、ある時自然にこんな会話が生まれた。

「お会いしたいですね」 「本当にお会いしたいです」

なぜだろう。私はいったん口に出したら、その言葉が抜けない。 すぐに名古屋行きを決めた。お礼も伝えたいし、ちょっとせっかちな名古屋弁を話す 志賀内さんがどんな人か、興味が湧いてきたのだ。

志賀内さんに会った最初の印象は、「風が吹けば飛んでしまうかも!」というものだった。 話を伺ってみると、やっていることはとんでもなく幅広く、何が本業なのだろうと思うほどだった。

しばらくお付き合いすると、志賀内さんはベストセラー作家でありコラムニストだが、 講演会の講師としても活躍していることがわかった。 著書『ギブ アンド ギブでうまくいく』の通り、いつも誰かのことを考えている人。 それが志賀内さんだった。

2回目に会った時のこと、「僕は講師として宮崎に呼ばれるのが夢なんです」と言った。 どこかの駅に向かう通りを、二人で歩いている時だったと記憶している。  志賀内さんは、特に深い意味はなく言ったのかもしれない。

しかし、私は思わず生唾を飲んだ。それを自分への言葉として受け止め、なぜだか みやざき中央新聞の主催で、志賀内さんの講演会を開かなければならないような気になった。

いつの間にか辺りは暗くなっていた。プラタナスが風に吹かれて黒い葉がバラバラと揺れ、 寒さが体に沁みてきた。小心者の私は、動揺した。いつも応援してもらってばかりいるのに 私の方から何も返したことがなかった。

「志賀内さんの講演会を主催することで恩返しになるかもしれない。  講演会の主催ってどのようにするのだろう」

と思った。 それまで講演会の取材には行っていたが、自分たちで主催したことはなかった。 とりあえずあいまいな返事をして、お茶を濁した。

私は、「頼まれたことはやらないといけない」と思ってしまう癖がある。 「志賀内さんが宮崎で講演したがっている。何とかしてあげたい」 という思いが頭から離れなくなった。 しかし、「大義名分がないと、講演会を開く意味がないなぁ……」 と、歩きながら頭の中でぐるぐる考えるうちに、ふとひらめいた。

「みやざき中央新聞の15周年記念のイベントを開いて、  その講師として来てもらったらいいじゃないかしら」

私は頭に浮かんだこの名案をぐっと飲み込んだ。 主催してたくさんの人を集めるというイメージができなかった。 志賀内さんには何も告げずにそのまま別れた。

宮崎に戻った私は、さっそく朝礼で15周年記念講演会をすること、 講師は志賀内泰弘さんにすることをスタッフに伝えた。

赤字だった新聞をどうにか15年も続けられたことの感謝を伝えたい。 志賀内さんの講演会という形で、ありがとうの思いをお返ししたい……。 私たちはこの講演会を“ありがとう講演会”と名づけた。

開催を決めたのは平成18年の冬だった。開催は翌年の6月にした。 100名限定としたのは、当時の私たちの器で精いっぱいの人数だった。 ところが、告知をしたら、すぐ100名を超える申し込みがあり、会場の関係で、 お断りしなければならないほど参加希望者が多かった。

当日は、「笑点」のテーマソングに乗って登壇した志賀内さんに会場が笑いの渦になった。 「プチ紳士・プチ淑女を探せ」と題した講演会は、温かい雰囲気の中で成功した。 講演の後、私はこう話した。

「志賀内さんは、以前『私の夢は宮崎で講演すること』とおっしゃいましたよね。  志賀内さんの夢が叶い、私、ホッとしました」

すると、志賀内さんは真顔で言った。

「そんなこと、言いましたっけ?」

思わず私の目は点になったが、それも今思えば楽しい思い出だ。

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