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第1464号 ほろほろ通信『たんすの奥から出てきた手紙』志賀内泰弘

前回、名古屋市緑区の小林久夫さん(76)が幼年期に体験した、
極貧生活の話を紹介した。
靴がなく、自分で作ったわら草履を履いていた。
小学校の卒業式の日に、母親が初めて靴下を
買ってくれたのが忘れられぬ思い出だという。

その久夫さんの母親は、67歳で亡くなった。
それから三十数年がたったある日のこと。
五人兄弟が集まり、そのままになっていた遺品を整理することになった。
たんすの小引き出しの奥から何通かの手紙が出てきた。
その一通を手に取り、三番目のお兄さんが「これ何だ」と言うと、
書かれた文字を見て一番上のお兄さんが言った。
「久夫の下手くそな字だがや」

それは、久夫さんが小学一年の時に母親宛てにつづった手紙だった。
その一部…。

「一ねんせいになりました。おとうさんは、ひらがなをいそいでおぼえると、
 すぐにわすれるからといって、おしえてくれませんでした。
 でも、ぼくのともだちは、ようちえんにいっていますので、
 みんなひらがなのべんきょうができます。
 わたしだけ、ひらがながよめないばかりか、かけません。
 なきたくなってしまいます。あいうえおがわからないので、
 きょうかしょも、としょしつのほんもよめません。
 でも、おかあさんがおしえてくれることになってから、
 ゆうきがわいてきたのです。
 じがよめるようになったら、とよかわのほんもののおおきなとしょかんで、
 ほんをいっぱいよんでおかあさんにきいてほしいです」

1947(昭和22)年4月14日の日付。
「おかあさん、ありがとう」という題が付いていた。
久夫さんは、その場で手紙を読みながら泣き崩れたという。

「幼いながらも母の苦労がわかっていました。
 今も母親に感謝しています」
と久夫さんは話す。

<中日新聞掲載 2017年3月12日>