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第1707号 たった一言でコンテスト受賞作品★ホスピタリティ★『いいから』

<掲載時のお名前>松波さん
<年齢>32
<性別>男性
<住所>東京都大田区

<心に響いた「たった一言」>
「いいから」

<「たった一言エピソード」>
もう十年以上前の、私が学生だった頃のことです。
京都の上京区でアパート暮らしをしていた私は、近くの駅から大学へ通っていました。駅までの往来には、大型商業施設の地下駐車場を横切らねばなりませんでした。駐車場の入口は常に、初老の男性に警備されていました。私は毎日そこを通っていましたが、『警備員のおじさん』を視界に収めることもなく、一度も気にしたことはありませんでした。

ある夏の日に、大学から帰る途中で、夕立が降ってきました。大雨でした。私は急いでいた上に傘を忘れており、ずぶ濡れになって駅から自宅へと歩いていました。すると駐車場を通り過ぎた辺りで、「ちょっと!」と声を掛けられました。急だったので私は、とても吃驚しました。

呼び止めてきたのは、例の警備員でした。初めて正面から見たその人は、白髪交じりの固く厳しい顔付きでした。二十歳そこそこの学生にとっては、少し怖い相手でした。その警備員が、短い言葉で「差してけ」と言ったのです。初め何の事か分かりませんでしたが、右手に大きめの傘を持って、私に差し出しているのに気付いてから、ようやく理解できました。ずぶ濡れの私を見兼ねて、傘を貸してくれようとしていたのです。然し、その傘は安物には見えず、私物のようでしたので、思わず私は「いえ、結構です」と断ってしまいました。そうすると彼は、

「いいから」
と、少し不機嫌そうに傘を押し付けてきました。結局そのまま断り切れず、借りることになりました。傘を差しても、既に靴やパンツの中までびしょ濡れだったので、外見的にはあまり意味はありませんでした。でも、雨粒が顔や頭に直接当たる状態よりは、大分快適になりました。それに何より、遠慮を押し退けた気遣いに、心を打たれました。

帰宅し、着替えてから自分の傘を使ってその駐車場へ戻りました。感謝の言葉と共に傘を返すと、またも彼の返事は、「んっ」という短いものでした。ちょっとした飴や菓子を礼の品として渡そうとすると、「いや、いい」と一旦断られましたが、困ったような私の顔を見て、「じゃあ、後で食う」と受け取ってくれました。それ以来、駐車場を通る際は、お互いに軽く挨拶をするようになりました。私は彼から、『押し付けるべき気遣い』もあるのだと学びました。